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ありがとうさんちゃんずっと一緒だよ

ここのところ、いろんなことが次から次からあり過ぎて、、
自分自身ついていけない感じ、、



なかなか更新できずにいたブログの
久しぶりの更新内容がこんなことになるなんて、、





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かわいいさんちゃま。

愛しいさんちゃん
私の相棒
魂の片割れ
最高のパートナー
そして息子のような

特別な特別な存在のさんちゃん。
7月2日 22時12分に旅立ちました。



突然のことで心がまだついていけてません。
いつかは来ると分かっていても
こんなにも辛いなんて…


おはようさんから始まって
いっぱいご飯食べて、
いっぱいうんちして
お話して、お昼寝して、お散歩して、
一緒にまったりして、
お昼寝して、笑って、遊んで
共に暮らした12年と7ヶ月弱。


そこにいて当たり前と思ってた。
当たり前なんてどこにもないんだね。
この毎日は奇跡の積み重ねだった。


さんちゃんの楽しいお喋りがもう聞けない。
さんちゃんのおでこのカーブに私の鼻下のくびれを合わせたり、
クチバシにチュッとして温度を感じることももうできない。
青い美しいお羽、可愛いお顔をもう見れない。
小さな柔らかくて暖かい可愛いあんよが
私の指を握ることはもうないんだ。。


亡くなる4日前まで本当に元気に過ごしてくれていたのが救いです。
最後の2、3日がとても辛そうだったのがとても心残りだけど

最後は可愛いお目目をしっかり開けて
私をじっと見つめてゆっくり穏やかに旅立ちました。

「さんちゃん、大丈夫だよ、ずっと一緒にいるよ、愛してるからね。」

と声をかけられて良かった。
ちゃんと最後まで目と目を合わせて
見送ることができて良かったです。



さんちゃんは手に抱かれるのが嫌いな子だったから
プラケに顔を引っ付けることが精一杯で
息を引き取った瞬間にプラケから取り出し
手に抱いて頬を寄せてわぁわぁ泣きました。




この日は私にとってとても尊い、そして意味のある日。
こんな日に旅立ったということに、
悲しいけれど、とても感慨深く、
さんちゃんは本当に守られていた子だったんだなと
つくづく思いました。



彼ほど絆の深さを感じられる子はいなかった。

必ず会える、会おうね。
その日まで頑張るよ!

そばにいてね。
私もそばにいるよ。
ありがとう大好きなさんちゃん。
ずっと一緒だよ。


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最後3日間
一生懸命頑張ってくれた看護部屋
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忘れないよう、順番に書いていこうと思います。
※備忘録なので長くなります。


■6月30日(水)
おはよう!と朝いつものようにカバーを開けると
右足をあげて痛そうにしている。
昨日寝る前までは全然元気だったのに寝ている間に
何かあったんだろうか・・・?
骨折はしてなさそうだけど、右足の力は弱く
びっこを引いて、移動しにくそう。
痛いのかとにかく上げている。
目もしょぼしょぼしているからきっと痛いんだ。
動きにくそうなのでケージの掃除はともかく
プラケースを用意して入ってもらう。
痛みからかご飯を食べない様子が気になり、
病院に行こうか悩み、行くことに。


朝11:30頃いつものN病院に。
(でも後程この選択を悔みました。)
※N病院では以前めりくんを助けてもらった恩義もあり
悪く言うつもりはありません。


病院ではいつものように
そのう、糞便検査→問題ない、
足も折れていない様子だし腫れもない。
レントゲン、と進み
レントゲンもとてもいい骨の状態でした。
(私も確認しそう思いました)


骨に異常はない、
足の様子からしても痛風はない
足の痛みの原因は分からないということでした。


それよりもかなり痩せているから
これを何とかしないとね、と先生。



・・・・・痩せている、
そう、確かにさんちゃんは体重がじわじわと
落ちてきていて悩んでいました。


※ここ1,2カ月は大好きだったオーツ麦、
シードは少ししか食べず、
オーチャードをすごく欲しがるように。
オーチャードを呼び水に擂ったペレットをしっかり振りかけて
オーチャードとペレットを一緒に食べてもらいながら
オーツ麦やシードも食べられるようだったら
食べてもらうよう工夫して
とにかく体重を減らさないよう気を付けていました。



体重減少に関しては、
昨年6月くらいから減り始め
減り始めた時にもN病院を受診していて
診てもらっています。


でもやはりその時もよく分からないお話で
うやむやに
体重減少の原因はわからずじまい


さらに、ウン○の色を見て
「黒っぽいな、うん出血しているなこれは」と言って
体重減少について知りたい私の話もろくに聞いてもらえず。
(いつものことなのですが、、)


ウン〇の色、私の目で見ても出血している色か
そうでないかぐらい分かります。
出血しているようには見えませんでした。
お野菜をまぁまぁ食べていたので
お野菜の色が反映されていたのはあると思います。


いわゆる出血しているような黒い便ではありませんでした。
しかし、全く聞き入れてもらえず顕微検査もされず
抗生剤と、胃腸薬が出されて終わりました。



体重減少で受診しているのに
なんで抗生剤なのかな??と
若干腑に落ちないまま1カ月服用。



→1ヶ月後再診
薬は終わるだろうと思いきや
再び抗生剤1カ月と言われ
さすがにこれは納得がいかず
私の判断でお薬は飲ませませんでした。



いつも何のための抗生剤なのか?とか
疑問点を聞いてもよく分からない返事ではぐらかされる感じ。
それ以上聞けない空気が流れてあきらめる、、。
こんな感じでいつももやもやした気持ちになって終わる。
といったことが多かったです。


結局今回の右足の痛みについても原因分からずで
出されたお薬は

・痛み止め
・抗生剤
・アミノ酸系のお薬

の3種。
流動食と注射をされて、ケージもプラケでなく
通常のケージでいいと言われこの日は帰宅。



家に帰ると、疲れたのか寝てばかりのさんちゃん。
夕方6時頃流動食をほぼ吐いた。
吐いた後、足が楽になったようでご飯を食べだしたので
プラケから通常のケージに戻す。


通常のケージは使い慣れた配置だから
ご飯もお水もよく食べ、飲んだので
もやもやしたものの病院へ連れて行ってよかったのかな、
とホッとしたものの


22時頃再び右足を上げだし辛そう。
ケージ内を動くのも不自由な様子に
再びプラケに移動させる。

後はその前よりもさらにぐったりしんどそうな状態になって
ご飯もお水も飲まない。



■7月1日(木)
朝4時くらいプラケを見る。
大丈夫さんちゃんは頑張ってる。
でも右足が痛いのは変わらない。
脚の痛みが取れないようなら今日も来るように
と、病院から言われていたので
今日も朝受診。


流動食を吐いたこと、
足の痛みが一瞬はなくなったけど
再び出て以降はずっと痛そう、
さらにしんどそうなことを伝える。


流動食と昨日とはちょっと色の違う感じの注射をして終了。
帰り道すぐ少し流動食を吐いた。

家へ帰ってもさんちゃんはずっとしんどそうだった。
ご飯もお水も食べない。
脚はさらに痛そうに思った。
病院へ行く度しんどそうになっているようにも思えた。

でも足が痛いのなら少しはお水を飲めば
痛み止めが効くしと口元にお水のカップを持っていくと
飲んでくれる時もあったけど、だんだん飲まなくなった。


痛みの理由もわからないまま、
足はどんどん動かしにくくなっている感じ。

痛み止めはともかく抗生剤、アミノ酸の薬というのが
果たして良いものなのか疑問がわく。
いろいろ調べてビタミンB欠乏症(脚気)なのではないか、
とか、誤診で注射した薬や出された薬が
さんちゃんを余計悪くしてやしないだろうかと
不安になってくる。

さんちゃんのしんどそうな姿に
何がしてあげられるのか、、、
これといってしてあげられることがない自分に腹立たしく、
心配な気持ちと歯がゆい気持ちと
元気になってほしい気持ちが入り混じっておかしくなりそうなくらい。

明日はN病院ではなく、つむぎちゃんの病院に行こうと決意。
(つむぎちゃんもいろいろとあって・・・これはまた後日)


■7月2日(金)
つむぎちゃんの病院へ朝一で電話、予約。
院長先生で11時に予約が取れた。良かった…!

電車を乗り継いで1時間半ほどかかる病院だけど
用意をしてすぐに出れば間に合うちょうどいい時間に
予約を入れてもらえとてもありがたかった…!!

さんちゃんも道中頑張ってくれて
診て頂いた結果


痛風だった。
確かに足は一見痛風には見えないものの
鳥の専門のその先生は、足を念入りによく観察し
自分の経験からは見た感じ痛風になっていると思う
血液検査をしない限り確定はできないけれど、、
と仰った。

N病院では、「ない。」と言われた痛風。

ぐったりとしているさんちゃんに血液検査は大丈夫なものか
心配だけれど、きちんと知りたい旨伝えると
さんちゃんになるべく負担がかからないよう少量の血液で
最小限の検査をしてみますと言ってくださった。

結果、やはり痛風。
それも数値は振り切れるほどの高い数値で
この数値で生きているのが奇跡だと思います
と言われる。


痛風は腎臓がやられて起きる病気。
腎臓で老廃物がろ過できなくなり、
老廃物が体中に溜まり体が痛くなるんだそう。

老化現象ともいえ、高齢になってくると
やはりいろんな臓器にもガタが出てくることは
十分考えられ、しかもこれだけ高齢になっても
頑張って生きてくれているとういことは
本当にすごいことだと思いますよ。
と言ってくださった。
涙がとまらなかった。


そんな体のさんちゃんに
最初の病院でされたことは、

明らかにさんちゃんの体にさらに負担を与えることに
つながったと考えられる。

処方された痛み止めも抗生剤も
腎臓にさらに負担をかけるものだったから。


痛風は劇的に治る薬はありません。
進行を遅らせる薬はあるけれど
もうどれだけ効くが厳しい、と言われた。

先生からは、
これだけ頑張って長生きしてくれて
さらに苦しいことをするのではなく、
あとは痛みをなるべくとってあげて
穏やかに過ごせるようにしてあげることが
いいと僕は思います。


点滴、なるべく水分を摂らせてあげて
ポカリとかでも大丈夫ですよ。
なるだけ老廃物が外にでるようにしてあげることが
楽になることにつながると思います。

とアドバイスを受けました。


最後に少しでも、と
流動食をしてもらいましたが
(先生は流動食は苦しいと思うと仰っていましたが…)
やはりさんちゃんは吐いてしまい、
先生もそう言ってたのに、
私のエゴで苦しい思いをさせてしまって…
申し訳ない気持ちで涙が出てしまった。



お薬は、
腎臓に負担がかかりにくい
痛み止め、抗生剤に変更、
そこに腎臓をケアする薬、痛み止めで胃が荒れないように胃薬、
吐き気止めを少しずつ混ぜて、腎臓に優しいお薬を処方してくださいました。
私の希望で2週間分出してもらいました。


結局さんちゃんはお薬水も
あまり飲めなかった。
少しご飯はつっついていたかな。

お薬水やポカリなど少しでも水分を、と
時々小さなプラスチックのマドラースプーンで
口元に持って行って飲めるように促してみたりしたけど
クチバシを伝ってあごに溜まってしまった。
迷惑だったかな。。

動きたそうにしているとき、アシストしようと
手を入れるとギャッギャッと怒っていた。
しんどい時でもどんな時もお手手はやっぱり嫌だった。

いつどんな風に変わるかわからないから
一時も目を離さなかった。
シャワーの時も母に見てもらって
ダッシュで入った。


最期の時、
ずっと閉じていた目をしっかりと開け
私をじっと見つめてきた。
最後に目と目を合わせることができた。

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最期のその時は、
目をしっかりと開いてこちらをジッと見つめてくれたんですよね。
本当に不思議なくらいしっかりとしたまなざしで。

そしてゆっくりと呼吸が止まり、
目を閉じました。




すぐに彼をプラケから取り出し
抱きしめました。
もうさんちゃんは怒りませんでした。





さんちゃんのような青いお花と白いお花を
買ってきました。



デルフィニウム、スコビオサ、リンドウ
カスミソウ、ガーベラ



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めりくんと同じように
プランター葬に。
さんちゃんの周りにいっぱいお花を入れて
残りを花瓶に入れて飾りました。


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